家康殲滅作戦




そんな直江兼続が、石田三成の元を訪れたのは、まだ三成が大阪を脱出する前だとも言われていますが、二人の密談がいつ交わされたか、正確な時期は不明です。

ただ、兼続は主の上杉景勝と共に、豊臣政権から政権を奪取しようとしている家康おやぢを†許しがたい悪党†だと認識しており、豊臣家を守る為に家康を討ち取ろうと密かに思っていました。

そこで三成と兼続は日本の合戦史上、かつてない広域なエリアで繰り広げられる†家康殲滅作戦†を立案したのです。

作戦の具体的なアイディアなのですが、当時日本中の諸大名のほとんどは、大阪と伏見に留まっています。朝鮮遠征から秀吉の死後のゴタゴタが続いて、諸大名たちは自分の領地に帰っていません。

そこで、景勝は秀頼の許可を得た上で、近隣の領地支配する佐竹氏などを誘い合わせて、一旦国許へ帰る事にします。

長きに渡って領地に帰っていない状態が続いている以上、この一時帰郷の願いは許可されるはずですので、会津に戻った景勝は、自国内の砦や城を補強したり、おおっぴらに兵を募集するなどして、露骨な†戦闘準備†を開始するわけです。

この武装行動は、当然表向きは†豊臣家への反乱†として受け取られ、†上杉討伐隊†が編成されるはずで、その大将には、戦で天下を盗りたい家康おやぢ自らが出馬してくるでしょう。


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(C) 2009 天地人の関ヶ原の裏話