大阪城VS伏見城?




秀吉というのは建物を作るのが大好きだった人で、やたら城を築城した事で有名ですが、日本史上屈指の名城である大阪城の他に、自らの隠居城として京都の伏見に伏見城という大規模な城も作っていました。

秀吉は晩年、伏見城に居城していましたので、その子秀頼をはじめ豊臣家に使える大名たちは軒並み伏見城にいたのですが、秀吉の死後、彼の遺言である

「秀頼は大阪城に移して、18歳になるまで城から出すな。家康は伏見城で天下の政務をとれ (゚Д゚)b」

という命令に従って、秀頼は大阪城に入っています。大名たちは当然†豊臣家の家臣†ですから、秀頼と共に大阪城下に移るのが筋ですが、すでに家康本人以外にも、

「次の天下は江戸内府(えどないふ)である家康のモノ ( ̄- ̄ )」

と†先物買い†をしている大名がいて、何だかんだ理由をつけて伏見に留まっている大名がいたのです。

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(C) 2009 天地人の関ヶ原の裏話