家康の野望




秀吉の死は国家機密として扱われました。というのも、当時の日本は朝鮮に侵略戦争を仕掛けいる真っ最中で、秀吉が死んだ事で、この侵略は中止されたのですが、朝鮮に渡っている日本の武将や兵士たちを安全に撤退させるには、敵に秀吉の死を知られてはならなかったからです。

ですから秀吉の死はしばらくの間、五大老・五奉行のみが知るトップシークレットでした。この機密情報を知った五大老・五奉行の面々は、覚悟していた事とはいえ、ショックを受けたようですが、一人だけ大喜びした人物がいます。その人物は筆頭家老の一人・徳川家康です。

†律儀で仁徳者†

というのは、秀吉が死ぬまでの家康の人物評でした。事実、この徳川家康というおやぢは、若い頃から†ザ・律義者†とも言える人物だったのです。大名同士の同盟関係などは、いつ破られても不思議ではなかった戦国時代に、家康は織田信長との同盟をひたすら守り続けました。

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(C) 2009 天地人の関ヶ原の裏話