《関が原》 金吾の事情




石田三成の上げた狼煙を冷ややかに見つめる小早川秀秋という若僧が、どういう人物かというのはこれまで説明してきませんでした。

秀秋はもともと、秀吉の妻である「ねね」の甥にあたる男で、まだ子宝に恵まれなかった頃、秀吉の養子として羽柴秀俊(はしば ひでとし)と呼ばれていた時期もあり、†秀吉の後継者†の一人だったのです。

ただ、秀秋は幼い頃から思慮が浅い上に癇癪持ちで、とても†将の器†はありませんでした。ですから、かなり早い時期から秀吉は秀秋を後継者にする事を諦めていましたが、放逐するわけにもいかず、たまたま跡継ぎのいなかった小早川家に養子に出して、†小早川秀秋†になったわけです。

ところが、秀秋自身は

「太閤(秀吉)殿下は、実の子供・秀頼が生まれたから、オレは不要になったんで小早川家に追い出された ( ̄Д ̄)」

と思っていました。そういうヒネた考え方をする事が、すでに†将の器†がないと言われて仕方がないのですが、そんな秀秋ですので、豊臣政権に対して恩義など感じてなどいません。

ですから、この思慮の浅い若僧は、早くから家康おやぢに、

「私は裏切ります (  ̄ー ̄)v」

と申し出たのですが、実際秀秋は、

「この戦で勝つ方に味方すれば、いいじゃん ヽ(´∀`)ノ」

と思っており、もし東軍が決定的な負けの様相を見せれば、そのまま西軍として、東軍を攻める気だったのです。

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(C) 2009 天地人の関ヶ原の裏話