《関が原》 敵中突破!




秀吉が存命だった頃に行われた朝鮮遠征の際、島津義弘の率いる島津隊はわずか8000人での篭城作戦をした際、攻めて来る明国の兵20万人を相手に、これを見事撃破して、明・朝鮮国からは「石曼子(シーマンズ)」と呼ばれ、恐れられていたのです。

そんな逸話を知る東軍兵士たちは、戦闘態勢をとる島津隊に対して、うかつに仕掛けられず、西軍の残党狩りも終わりに近づいた関が原は、ヘンな緊張が生まれていました。

もはや、ヘタな抵抗は無意味だと確信している義弘ですが、実は

「退却したくても、こんな土地来た事ないから、†帰り道†が解らない…(-_-;)」

という事情がありました。義弘をはじめここに集っている島津兵の多くは地元の薩摩と大阪の行き来はしていても、大阪より東の東海地方の地理には全然疎かったのです。

ですから義弘は、全員で散り散りになって山に逃げ込んでも、残党狩りに遭ってヘタすりゃ全滅するのがオチであり、少しでも多くの仲間が薩摩に生還できる方法を考えていました。

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(C) 2009 天地人の関ヶ原の裏話