黒田家の関が原




小山評定で†やらせ演出†を行い、多数の西軍大名を寝返らせ、さらに関が原の戦場では多くの武功を立てて、家康おやぢに誉められまくり、第一の功労者として筑前名島(現在の福岡)52万石の大領を貰った黒田長政が、有頂天になって父・如水の居る九州に帰ってきました。

長政を迎える如水のご機嫌は、相当悪かったのですが、長政はそれに気づかず、関が原での自慢話を散々話し、最後には

「父上、内府(家康の呼称)殿は拙者の手を取って、†此度の戦は貴殿の働きがあったからこそ勝利できた!†と感謝してくれました (・∀・)」

と無邪気に凱旋報告をします。不機嫌にそれを聞いていた如水はふと、

「内府殿が握ったのは、そちのどちらの手だった?」

と尋ねました。長政は自分の記憶を辿るように、一瞬目を宙に浮かせながら考えると、

「右手でございました (・∀・)ノ」

と答えます。すると如水は間髪を入れず、

「その時、そちの左手は何をしておった?! ヾ(`◇´)ノ」

と言い放ちました。

つまり、そこまで家康に接近していたのであれば、どうして家康が長政の手を取っている内に、空いている左手で短刀を抜き、家康をその場で刺し殺してしまわなかったのか?という意味です。

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(C) 2009 天地人の関ヶ原の裏話