小山評定
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福島正則だけでなく、家康おやぢに付き従って会津征伐に向かっていた豊臣大名たちにとって、小山評定前夜は†眠れない夜†だったでしょう。
小山評定が行われたのは、現在の栃木県小山市の市役所付近だと言われていますが、この評定を開くために、急遽諸大名が集合できるだけの仮御殿を建築したと言われています。
その仮御殿の上座に家康おやぢと、息子で後の二代将軍になる秀忠(ひでただ)が、ドッカリと座り、徳川家の家臣である本多忠勝(ほんだ ただかつ)が司会進行を務めました。諸大名たちの集合が終ると、忠勝は
「皆の衆もご存知の様に、石田三成がわが殿を謀反人に仕立て上げて討とうとしておる。これは言いがかりであり、我が徳川家としては、無実の罪を晴らすために、会津へは向かわず、ここから軍を反転させて三成を討つ! ( ̄^ ̄)9」
と声を張り上げました。忠勝はさらに
「されど、この戦いは徳川家が挑まれた戦いであるから、豊臣家から恩寵をうけた大名である皆の衆は、今からこの場を離れて、三成の味方をしてもわが殿は、止めはしない! 戦場で堂々と刀を交えようぞ! d( ・`д・´)」
とも言いました。つまり家康は、
†西軍に今から鞍替えしたければ、自由にしてOK! (・∀・)v†
と太っ腹なところを見せたわけです。
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