幕末にも影響を与えた関が原
この後、家康おやぢは、豊臣家に無断で江戸幕府を開き、自らが征夷大将軍になる事で、豊臣家から政権を奪って最終的に豊臣家を滅ぼしていくわけですが、そこまで行くとそれは〝別の話〟になります。
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ただ、家康が作った江戸幕府は260年間、大きな反乱もなく存続しますが、そんな幕府を倒したのは「薩・長・土」と言われる雄藩が主流になっていました。この「薩・長・土」というのはご存知の通り
〝薩摩藩と長州藩と土佐藩〟
であり、薩摩藩は「島津家」、長州藩は「毛利家」そして土佐藩は「山内家」となり、実は『関が原の戦い』で大きく運命の変わった大名や家来たちの末裔なのです。
土佐藩は関が原のお陰で豊かになった連中だと思いがちですが、実際幕末で活躍したのは、山内家の家来ではなく、山内家の侍たちに迫害された長宗我部家に仕えていた〝郷士〟たちでした。
毛利藩は関が原で、実質東軍に攻撃を加えていないものの、〝名義上〟総大将だったというだけで、あわや滅ぼされるところだったという怨みがあります。
そして、薩摩藩は『関が原の戦い』こそ、きわどい外交で無事乗り切ったものの、江戸時代260年の間、〝徳川幕府の仮想敵〟として、長く迫害を受けていましたし、薩摩藩も幕府を警戒し続けていました。
そんな三藩が徳川幕府を倒す、大きな原動力になったのは、遠い先祖の思いが幕末に活躍した志士たちの中に伝えられていたのかもしれません。
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