西軍大混乱!
さて、伏見城を攻め落とした西軍ですが、石田三成は大垣城(現在の岐阜県大垣市内)を本陣に定め、各地にある東軍系大名の城を攻略する事にしました。
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この頃、家康おやぢは小山評定を終えたばかりで、西軍の待ち受ける濃尾平野にまで家康が進軍してくるには、まだ時間があると判断した三成は、南は伊勢(現在の三重県伊勢市辺り)、北は飛騨高山(岐阜県の飛騨地方)まで西軍の兵を〝遠征〟させたのです。
あまりに広範囲に兵力を割いた為に、肝心の本陣である大垣城界隈には、西軍の兵力がほとんど居なくなってしまいましたが、その頃やっと姿を見せ始めた東軍の先発隊も、家康の到着を待っている為、すぐには仕掛けてきませんでした。
ところが前述の通り、家康は江戸から使者を派遣して、東軍武将たちの尻を叩いて攻撃命令を出した為に、東軍は突如進軍を始め、西軍の第一次防衛線であった竹鼻砦(現在の岐阜県羽島市辺り)や犬山城(愛知県犬山市)を攻め始めたのです。
「( ̄□ ̄;)!!<ヤバイ! 全軍を集結させろ!」
東軍が突如進軍を開始したという一報を聞いて、三成は周章狼狽し、あちこちに散っている西軍を急いで呼び戻そうとしました。
しかし、戦線を広げ過ぎた西軍の集結はそう簡単に集合できるわけもなく、各部隊は混乱し島津義弘の率いる部隊が敵の中に取り残されて、見捨てられかけるという混乱も発生したのです。
それでも東軍の本隊が第一次防衛線を突破し、かつて織田信長が天下統一への拠点とした岐阜城を陥落させる頃には、なんとか西軍の主力も大垣城近辺に到着し、東西両軍は濃尾平野でにらみ合う形になりました。
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