家康参上!

石田三成の諜報活動が疎漏だったのか、家康おやぢの〝ステルス行軍〟がよほど上手かったのか、家康が西軍と東軍がにらみ合う最前線にいよいよ家康が到着した事を西軍は気がつきませんでした。

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西軍の眼前に突如立てられた家康の指物や家紋を見て、西軍の中に動揺が走りました。

〝海道一の戦上手〟とも言われ、合戦の天才といわれた秀吉にも〝負けなかった男〟家康は、実戦の経験・実績ともに、今この戦場に集っている大名の中で〝最強の大名〟だと言っていいでしょう。

しかし、家康着陣後も、東軍は総攻撃を仕掛けてきませんでした。そのまま夜を迎え、西軍では再び軍議が開かれました。

議題は、島津義弘の提案で、

「いっそ今夜、家康本陣に夜襲を掛けたいけど どうよ? ( ̄~ ̄)b」

というものです。

戦争の〝勝敗〟というのは、戦闘で不利な方が降伏して決まると思われている方も多いと思います。確かにそれもひとつの決着ではありますが、日本の合戦の一般的なルールは、城を攻める攻城戦の場合は、

〝天守閣が焼け落ちたら負け (´..`)〟

であり、屋外で両軍が激突する野戦の場合は、

〝戦場を指揮する大将の首を取られたら負け 。・゚・(ノД`)・゚・。〟

という事になっています。

もちろん戦争はスポーツではありませんので、大将が生きたまま降伏する事もありますし、不利になった方の兵たちが戦意を喪失して退却を始めてしまえば、大将が生きていても負けは負けです。

義弘は〝合戦の一般的なルール〟に従って、敵の総大将である家康だけを狙って、サッサとこの戦を終らせてしまおうという戦術を提案しました。

この提案は、三成たち軍議に参加していた諸大名にあっさり却下されました。三成たちはあくまで、

「こっちも総大将・輝元様が来るのを待とう (∪_∪)b」

というあまり現実的でない方針に固執していたのです。

この意見対立や、これより前に義弘の率いる部隊が東軍の的中に置き去りにされるという事もあった為、この頃義弘は、西軍を裏切る事までは考えていなかったものの、すっかりやる気を無くしていました。

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