布陣完了!

その日はあいにく雨が降っていました。当時は街灯などありませんので、月明かりもない夜間の雨中行軍は真っ暗闇の中を進むようなものです。

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まぁ、当時を生きていた人にとっては、街灯がないのは〝当たり前〟ですので、しんどい行軍ではあるものの、それほど〝無茶な行為〟というわけではありません。

ただ、この雨中行軍で石田三成は腹を冷やしてしまい、今後ひどい腹痛と下痢に悩まされる事になります。

また、雨中での行軍は当然ノロくなりますので、西軍の後を追う東軍が、西軍の末尾の隊に追いついてしまい、あわや遭遇戦が勃発しそうになった場面もありましたが、東西両軍は夜が明けるまでに、布陣を終えていました。

ここで再び日本地図のある方は、それをご覧になると分かりやすいのですが、関が原は濃尾平野の最西端にあたる平野で、西側三方は山に囲まれており、東側にも南宮山という400mほどの山が張り出しており、平地伝いの道は東からくる中山道と、南に伸びる伊勢街道のみで、山に囲まれたスタジアムのような地形になっています。

東軍は関が原の中央に福島正則や黒田長政といった武闘派大名たちが部隊を展開し、それを迎え撃つように三成や島津義弘、そして宇喜多秀家といった武将が関が原の西端にある丘のような小山、笹尾山や天満山に陣を張りました。

そして南宮山の東側の山腹に毛利秀元の率いる毛利軍の主力が布陣し、その毛利軍が戦場に駆け下りられる出口辺りには、毛利軍の軍事参謀である吉川広家がドッカリと兵を構えています。

他の西軍大名のうち、頼まれもしないうちに西軍を、裏切る事を家康おやぢに誓っていた小早川秀秋は、見方によっては三成たちにいつでも襲いかかれる場所にある、関が原の西南にある松尾山に陣を布いていました。

また、中央のパワーバランスに疎く、豊臣政権からの命令で一応西軍に属している、土佐の長宗我部盛親は、主戦場から最も遠い南宮山の東南に陣取っていたのですが、盛親が戦場に躍り出るには、毛利軍本隊同様、吉川広家の隊が前を塞いだ形になっています。

肝心の家康はどこに居たかというと、毛利軍が布陣している南宮山の西側に峰続きになっている桃配山(ももくばりやま)の麓に本陣を構えていたのです。

時に慶長5(1600)年9月15日、東西両軍の布陣が完了し、いよいよ『関が原の戦い』が開始されるのですが、この日の朝は、雨は夜が明ける頃に止んだものの、関が原は深い霧に包まれていました。

霧の中で家康はひどくご機嫌斜めです。確かに徳川家の存続と天下盗りを賭けた〝世紀の大勝負〟がこれから始まるのですから、ヘラヘラしているわけはないのは当然ですが、これまで順調に自分の予定通り事が進んでいたのですが、ここにきて家康の計画を狂わす事態が発生していたのです。

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